店名由来

sorabeya2007-12-27


ここの日記のタイトル「活版岡田屋分店」は、わたしの実家の屋号からとって命名しました。岡田屋分店は、酒・食料・雑貨等の小売店です。

祖母に岡田屋の歴史を聞いてみました。

 岡田屋の始まりは江戸時代。千葉県のホンノウという地の呉服店でした。明治時代、岡田屋の次男トウジロウ氏は、いつか自分の店を持ちたいと思いながら、千葉県中を行商して歩いていました。ある時、行商でオンジュクという街に来たときのこと、トウジロウ氏はその街を気に入り、ここに自分の店を構えることに決めました。
 そうしてオンジュクの地に呉服店「岡田屋」が誕生しました。やがてトウジロウ氏は長男のトクゾウに店を継がせ、次男のジサクには町内の別の場所に呉服店の分店を設け、商売を広げていきます。これが大正時代に誕生した呉服屋「岡田屋分店」です。オンジュクは港町だったので、イワシが大漁だといってはお祝いの着物や引き出物の手ぬぐいの注文があり、それなりに繁盛したそうです。
 さて、呉服屋「岡田屋分店」の店舗は借家で、ジサクの家族が住むには手狭な家でした。そこで、ジサクは道のはす向かいにある酒・食料品店「ヤマイチ商店」を店ごと買い、そこに住むことにしました。しかし、ジサクが店の代金を支払ったその夜、事件は起きたのです。「ヤマイチ商店」の一家が商売道具や商品を全て残し、トラック一台で夜逃げをしたのです。どうやら「ヤマイチ商店」は株で大損をし、借金を抱えていたということでした。ジサクは女中を雇い、妻のヨシに酒・食料品店を任せました。これが酒・食料品店「岡田屋分店」です。
 その頃、ジサクの長男エイイチ(わたしの祖父)は東京の呉服屋へ丁稚奉公に出ていました。ちょうど太平洋戦争の頃であったため、丁稚奉公の最中にエイイチは戦地へ向かいます。数年後戦争が終わりオンジュクへ帰ってきたエイイチは、母親と共に酒・食料品店「岡田屋分店」で働き始めました。戦後になると呉服店の経営は悪化し、昭和30年代半ばにジサクの呉服店「岡田屋分店」は店を閉めます。そして酒・食料品店「岡田屋分店」は現在まで続いているのでした。